近藤真彦さんは2026年7月に62歳になりました。スポニチは、大みそかの紅白歌合戦の出場歌手として「リストアップされていることが7日、分かった」と報じ、「決まれば白組トリを務めた2015年以来、11年ぶり11回目」としています(10月8日。スポニチ)。出場歌手はまだ発表されていません。
近藤真彦さんについて検索すると、「若い頃」「若い頃 画像」「かっこいい 若い頃」「現在 画像」といった言葉が並びます。15歳で『3年B組金八先生』に出演した若い頃から、レーサー・レーシングチームの監督としての歩み、62歳の今まで、本人の言葉・報道・公式の写真と動画で年代順にたどりました。
近藤真彦の若い頃:15歳で『金八先生』、たのきんトリオから「スニーカーぶる〜す」でデビュー
近藤真彦さんは1964年7月19日生まれ、神奈川県大和市出身。愛称は「マッチ」です。13歳の頃、少年野球チームの集合写真が事務所に送られ、社長がその写真の中から近藤さんの顔に○印を付けてスカウトしたのが芸能界入りのきっかけでした(Wikipedia)。
「マッチ」の名付け親は、事務所の先輩でベーシストの松原秀樹さん。本人は由来について「僕が丸刈りで顔が小さくてひょろひょろだったから『マッチ棒』って呼ばれてたんです。『棒』がとれてよかったですよ」と話しています(2017年。日刊スポーツ)。
1979年10月、TBS『3年B組金八先生』の生徒・星野清の役でデビュー(15歳)。同じく生徒役だった田原俊彦さん・野村義男さんと「たのきんトリオ」として人気を集めました。そして1980年12月12日、16歳で「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手デビュー。この曲はオリコン1位になっています(Wikipedia)。
2026年10月6日放送の『うたコン』では、1980年6月の『レッツゴーヤング』でたのきんトリオがそろった映像が流れました。15歳の自分のダンスを見た本人は「15ですねえ…」とつぶやき、「マッチ、雑!雑じゃない?」と隣の松本伊代さんに問いかけています。たのきんトリオについては「ずーっと一緒にいたので、この3人に関しては先輩、後輩はなかったです」と話しました(スポニチ)。
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▶ 再生17歳で紅白初出場、「愚か者」で日本レコード大賞
1981年9月の「ギンギラギンにさりげなく」で日本レコード大賞の最優秀新人賞を受け、同じ年の紅白歌合戦に初出場、白組のトップバッターを務めました(17歳)。1981年と1983年にはブロマイドの年間売り上げで1位。1981〜1983年には東宝の「たのきんスーパーヒットシリーズ」で『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』『ハイティーン・ブギ』『嵐を呼ぶ男』などの映画に主演しています(Wikipedia)。
紅白には1981年から1988年まで8年連続で出場しました。そして1987年、「愚か者」で第29回日本レコード大賞を受賞(23歳)。代表曲には「スニーカーぶる〜す」「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」などが挙げられています(Wikipedia)。
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レーサー・監督としての近藤真彦:ル・マン出場からチームの監督、JRP会長へ
歌手として活躍する一方、1984年に富士フレッシュマンレースに日産・マーチで参戦(19〜20歳)。「日本一速い男」と呼ばれた星野一義さんのもとでレース活動を始め、1988〜1993年は全日本F3選手権に参戦しました(Wikipedia)。
1994年には、ル・マン24時間レースにポルシェ962Cで初参戦(29歳)。同じ年、全日本GT選手権のGT1クラスで初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾っています。1995年のル・マンでは、日産・GT-R LMで総合10位に入りました(Wikipedia)。
2000年に自らのチーム「KONDO Racing Team」を設立し、2003年をもってドライバーとしての活動をやめ、監督に専念。チームは2007年にSUPER GTで初優勝し、2018年にはスーパーフォーミュラのチーム部門、2020年と2022年にはSUPER GT GT300の年間チャンピオンになりました。2003〜2011年はフジテレビのF1中継で解説者を務め、2023年4月からはスーパーフォーミュラなどを運営する日本レースプロモーション(JRP)の取締役会長です(Wikipedia)。
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▶ 再生2024年5月には、スーパー耐久の富士24時間レースに16年ぶりにドライバーとして参戦しました(59歳)。本人は「やはりレースは走るのが1番楽しいと改めて感じました」とコメントし、「還暦パワーご期待ください!!」と結んでいます(スポーツ報知)。
2026年5月には、監督としてドイツのニュルブルクリンク24時間レースに挑みました。チームとしては2年連続3回目の挑戦で、予選5番手について「正直、日本を出る時にはトップを狙いに来ていたので、5位というのは微妙ですね」と話しています(motorsport.com 日本版)。
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▶ 再生35周年で紅白の白組トリ、還暦の誕生日に武道館
2005年末にはデビュー25周年を迎え、7年7か月ぶりの新曲「挑戦者」を発表。2010年には第52回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞に選ばれ、2014年の『FNS歌謡祭』では35周年を記念したスペシャルメドレーを披露しました(Wikipedia)。
2015年の紅白歌合戦には19年ぶり10回目の出場。初出場と同じ「ギンギラギンにさりげなく」を歌い、白組のトリを務めました(51歳。Wikipedia)。
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▶ 再生
▶ 再生
▶ 再生近藤真彦の現在:62歳、韓国公演とサブスク解禁で「ギンギラギン」が再び
5〜6月:石垣島から始まるツアー、ソウルで初の単独公演
2026年5月9日、離島4か所を巡るツアーを沖縄・石垣島で開幕し、約1000人の前で21曲を歌いました。本人は「1曲1曲、心をこめて丁寧にみなさんへ伝えたいと思う」と話しています(デイリースポーツ)。
6月には、ソウルで初の単独コンサートを開きました。約1300席は完売。本人は「デビュー47年目で韓国でコンサートを開くことができて本当に嬉しく、感謝している」とあいさつし、「ギンギラギンにさりげなく」について「もう40年も前のことだが、当時韓国ではローラースケートが大人気で、スケート場ごとに流れていた曲がまさにこの歌だった」と振り返っています(Kstyle)。
7月:62歳の誕生日に全339曲を配信、「60歳を過ぎたら派手でもいい」
7月14日の大阪のバースデーライブで、62歳の誕生日の7月19日に全339曲のサブスク配信を始めると発表しました(スポーツ報知)。配信の翌日にはレコチョクの上位100曲のうち18曲を占め、本人は「年を取っても外に出て行って元気にライブやるべきだな」と話しています(スポーツ報知)。
7月6日には、インスタグラムにイタリアのワイナリーを訪れた写真を投稿。黒のセットアップでワイングラスを持つ姿に、「カッコ良すぎる」「ワインがよく似合う」「めっちゃ若い」などのコメントが寄せられました(スポーツ報知)。
7月22日の東京のバースデーライブでは、衣装について「バースデーライブの衣装は3着あるんですけど、3着ともギンギラです」と笑い、こう話しています。「50代くらいの時に落ち着いたというか、安全な色の服しか着なかった時期があったんですけど、60歳を過ぎたら、『まぁ、いいんじゃないの? 派手でも』と思うようになって」(WEBザテレビジョン)。
同じ頃のインタビューでは、「60過ぎると、いろんな人と出会って刺激を受けたくて。若いころは自分のことしか考えてなかったんだけど、今はいろんな番組出させていただけるなら、どんどん出たいというスイッチが入った感じ」とも語っています(Lmaga.jp)。
9〜10月:初の鳥取公演、『STAR』『プレバト!!』に出演
9月23日には、歌手生活で初めての鳥取公演を開き、24曲を歌いました。本人は「16歳でデビューして、今でもこうしてコンサートをできるなんて夢のようでウソのよう」と話しています(スポーツ報知)。
10月15日には、フジテレビ『STAR』の2時間スペシャルで「ハイティーン・ブギ」と「ミッドナイト・シャッフル」のメドレーを披露(モデルプレス)。同じ日の『プレバト!!』では「陶芸の才能ランキング」に初登場し、「手先が器用でヘリコプターのラジコンなど指先を使う趣味が生きる」と意気込みました(オリコン)。
紅白は「11年ぶり11回目」と報道(出場歌手は未発表)
スポニチは10月8日、近藤真彦さんが大みそかの第77回紅白歌合戦の出場歌手として「リストアップされていることが7日、分かった」と報じました。「制作サイドが近く正式に出演を打診する方向で最終調整している」とし、背景に「ギンギラギンにさりげなく」のリバイバルヒットを挙げています。8月に16年ぶりに『NHKのど自慢』に出演したことや、10月6日の『うたコン』への生出演にも触れています(スポニチ)。
10月13日には、スポニチが、NHKが昭和アイドルの特集企画を「実施する方向で調整している」と報じ、リストアップされている名前に近藤真彦さんと、たのきんトリオの野村義男さんを挙げました。同じ記事では中森明菜さん、野口五郎さんらの名前も挙がっています(スポニチ)。本人は9月の鳥取公演で、大みそかの紅白について「今年は空いてるよ」とおどけていました(スポーツ報知)。
第77回紅白歌合戦は12月31日の放送で、司会は堺雅人さん・二宮和也さん・芦田愛菜さん・鈴木奈穂子アナウンサーと発表されていますが、出場歌手はまだ発表されていません(Wikipedia)。
近藤真彦の若い頃と現在:整形は?
近藤真彦さんが整形を公表した事実はありません。
若い頃と現在について報道で確かめられるのは、62歳の誕生日を前にした写真に「カッコ良すぎる」「めっちゃ若い」という声が寄せられていること(スポーツ報知)、そして本人が「60歳を過ぎたら、『まぁ、いいんじゃないの? 派手でも』と思うようになって」と、50代の頃より派手な衣装を選ぶようになったと話していることです(WEBザテレビジョン)。
15歳で『金八先生』に出演し、16歳でソロデビューした若い頃から、レーサー・監督として走り続け、62歳の今も全国を回って歌っています。紅白の出場歌手が発表されたら、この記事に追記します。
まとめ:近藤真彦の若い頃から現在まで
| 年 | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1979年 | 15歳 | 10月『3年B組金八先生』の星野清役でデビュー。たのきんトリオ |
| 1980年 | 16歳 | 12月12日「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手デビュー(オリコン1位) |
| 1981年 | 17歳 | 「ギンギラギンにさりげなく」で最優秀新人賞。紅白に初出場(白組トップバッター) |
| 1984年 | 19〜20歳 | 富士フレッシュマンレースに参戦、レース活動を始める |
| 1987年 | 23歳 | 「愚か者」で日本レコード大賞 |
| 1988年 | 24歳 | 紅白8年連続出場 |
| 1994年 | 29歳 | ル・マン24時間レースに初参戦。全日本GT選手権で初優勝 |
| 2000年 | 35〜36歳 | KONDO Racing Team を設立(2003年で監督に専念) |
| 2015年 | 51歳 | 紅白に19年ぶり10回目の出場、白組トリ |
| 2023年 | 58歳 | 4月 日本レースプロモーション(JRP)会長 |
| 2024年 | 59〜60歳 | 16年ぶりにドライバーで富士24時間。還暦の誕生日に日本武道館でライブ |
| 2026年 | 62歳 | ソウルで初の単独公演。全339曲をサブスク配信。紅白「11年ぶり11回目」と報道(出場歌手は未発表) |



